花木図鑑|ひみつの花園 | 日本ハッカ
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花木図鑑

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日本ハッカ

  • 花が咲く
  • 香りがする
  • 多年草
  • ハーブ
  • 動画情報あり
ハッカは全世界で栽培されている多品種のハーブで、英語で「ミント」、ラテン語では「メンタ」と呼ばれ、日本では「ハッカ」と呼ばれます。日本ハッカは、ハッカ脳と呼ばれる主成分がハッカ草の中で最も多く65~85%を含有し、メントフランを含まないことでペパーミントとは区別されています。
 

<妖精メンテのお話>

ハッカ全体の歴史をたどると、ミントは約3500年前の古代ギリシャ時代にすでに生薬として使われていました。ギリシャ神話の中にも、ミントにまつわるお話があります。
ギリシャ神話では、冥界や冥府と呼ばれる死後の世界があります。冥界は、ハーデスという神により支配されていました。そのハーデスの寵愛を受けたのが、美しい妖精メンタです。しかし、ハーデスには妻がいました。妻の激しい嫉妬により、妖精メンタは、小さな雑草に姿を変えられてしまったのです。
変わり果てたメンタの姿を憐れんだハーデスは、その雑草に素晴らしい芳香をつけたということです。メンタは、ミントと呼ばれるようになり、神殿の庭で自分の居場所を知らせるかのように香りを放ったのだそうです。
他の説として、自分もかつてハーデスにさらわれた経験を持つ妻が、ハーデスに狙われたメンタを守るために香りの良い草に変えたという説もあります。どちらにしても、美しい妖精メンタが姿を変えた草が、ミントなのだそうです。

 

<日本のハッカの歴史>

ヨーロッパでは、古代ギリシャの時代から親しまれたミントですが、日本のハッカはいつ頃からあるのでしょうか?
詳しい時期はわかっていませんが、平安時代より前に中国から伝わり、日本に自生したと考えられています。そのことを示すかのように、中国語でもハッカは「薄荷(ボーホァ)」と表します。
日本の文献に初めてハッカの名前が登場するのは、日本最古の薬草辞典『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年頃)です。ハッカやミントは洋風のイメージがあり、昔の日本人がハッカを食べていたとは想像できませんが、平安時代の貴族はハッカを山菜の一種として食べていたという記録もあるそうです。清涼感のあるハッカは料理には向かなかったのか、やがて薬草ことして利用されるようになりました。
また、戦国時代には上杉謙信が献上されたハッカを気に入り、「薄荷糖」を戦陣でも携えていたという逸話も伝わっています。

 

<ハッカはなぜ「薄荷」と書くの?>

ハッカは漢字で「薄荷」と書きますが、そこにはハッカの性質が関係しています。
「薄荷」の「薄」は、日本語では「薄い」と読みますが、中国語では「貧弱である・少ない」という意味もあります。日本でも「薄給」と言ったりしますね。そして「荷」はそのまま「荷物」を表します。
つまり「薄荷」とは「荷物が少ない」という意味なのです。
これは、ハッカから精油を抽出するとき、大量のハッカの草を蒸留しても、ほんの僅かのハッカ精油にしかならないためです。
精油にすると「荷物が少なくなる」植物ということから、「薄荷」という名前になったのだそうです。
ハッカから精油を抽出したり、加工品を作るのに、大量の葉が必要なことは今も昔も変わりません。かつて、北海道は日本ハッカの生産地として名高く、昭和初期には世界シェアの7割を占めていたそうですが、それも広大な土地があるからこそ実現できたのでしょう。
 
分類 シソ科ハッカ属
原産地 日本
英名・学名 Japanesemint・Mentha arvensis L.
別名 日本薄荷・和種薄荷・ワシュハッカ
花色 淡ピンク・淡紫
収穫期 春~秋
花言葉 美徳・貞淑・効能・迷いからさめる
用途 料理製菓・精油・浴用ポプリ
当園での植栽エリア ハーブガーデン・育苗ハウス
※植物名称は、通名・流通名で記載している場合があります。
※「花木図鑑」でご紹介する植物は、当園及び周辺地区で生育している植物です。
※花木は生き物です。記載の鑑賞期に必ずご覧頂けることを保証するものではありませんのでご了承ください。
※「花木図鑑」やガーデンの植物については、Twitterやブログの #あくね花だより でもご紹介しています。

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モデル協力:もり・りさ 中尾 聖